久しぶり
なんか久しぶりだね。
まあそんだけだけど。
もちゅう
のハガキ書いた。
ほんまかなあと思う。
長くて長くて。
死んでくれたらむしろホッとするかもいやするだろうとよぎった日々。
だけども、実際は戦いムカつくことで、モチベーションをあげていたのかもしれない。
あなたは良い母ではなかった。
私も良い娘ではなかった。
そこから見出したこともあるけれど、ないものねだりを互いに延々続けていた。
誰も知らないあなたの面を私は見過ぎたと思う。
その落とし前をあなたは付けきれずに逝ってしまったけれど、落とし前はかなり重かったから、まあ頑張った方やと思う。
あたしはあたしで付けなきゃいけない落とし前がデカ過ぎなので悲しみに浸ってもいられないのだけれど、しゃあないっちゃしゃあない。
あなたは今、どの時空をさまよっていますか。
あたしはいびつな自分を放出しつつ、ここにいます。
はきそう
教え子の1人に久しぶりに会った。
いい顔になって。
やんちゃだった15歳の面影を温存しつつ、あたしの知らないところで、知らないうちに、彼は頑張って来たのだなあと。
こんな。
嬉しくて寂しくて幸せで切ない感情を
例えば
彼女にも抱きたかった。
あの時の震災で、突然逝ってしまったことを、10年以上経っても未だ認めることはできない。
私に対して「あなたが死んだら悲しい。だから助かってくれて良かった」などと言われるたび。
だけど彼女が亡くなって悲しい思いをした人はどうなん。あんたにとって知らない人間だったら悲しまずに済むかも知れないけど。
自分のこの思いを抱えずに済むなら、もし彼女が生き返るなら、生き返ったあと「こんな人生なら死んでた方がマシ」とののしられてもええから代わりに今死んだって全然構わないと思う。ていうかむしろ死にたい。
でもそれは単なるエゴであり愛情ではない。ただただ自分が悲しくなりたくないだけだ。あたしだって見ず知らずの人の死を悲しむことなんてできてない。
今自分以上の状況に晒されている人々を思いやるより先に、自分の悲しみにとらわれている器の小ささに吐き気がする。
出逢って亡くした人の穴は誰にも埋めることはできない。
あつすぎる
あまりに暑いので、休み中はエアコンのもと眠る眠る眠る。
連れ合いも眠る眠る眠る。
目が覚めると連れ合いが眠っており、その寝顔を見るとまた眠くなり眠る眠る眠る。
連れ合いが目を覚ますとあたしが眠っており、その寝顔を見るとまた眠くなり眠る眠る眠る。
そして起きた顔ってどんなんだっけ?と互いに思い出せない。
さむい
まあなんていうんですか。
さむい。