じゃっくとまめのき

 あのね。


 なんでほどほどって言葉を知らんかなあ。



 と、醗酵食品全てが好きなあたしは思う。



 野菜全般も好き。ニクサカナもスキよ。



 それと、こういうことになるって、大概予想がついてるはずなのに、無責任やと思うねん。


 街中大騒ぎになって、「俺達は世の中を動かしている」とか思とんのかなあ。



 なんか色々ごちゃーと思うけど、めんどくさいからやんぴ。



 




ついでのついか。




なっとうは自分ちで作れるし。


そんなに大量に食いたいなら、大豆蒸しとけ。いやになるくらいでけるから。









 ようやく元気になってきたので、再びついか。



 遺伝子組替えとかもそやねんけど。


 アレは4〜5代くらい代を重ねんと、実際はわからんの。


 つまり、今生きてこういう研究をしてる人々は、その実際的な影響を見届けられない。


 中には、有毒な金属や化合物を取り除く遺伝子を与えた植物で汚染を解決しようとしているヒトもいる。

 
 それはそれで良いアイデアだとは思うけど、その植物が世界に広まったときの生態系に対する影響はどれだけ予測できているというんやろ。




 今、現在の、ほんの少しの期間に結果が出る、ということに、誰もが踊らされている気がする。



 そこの、ネガティヴな結果さえ、目の当たりにしなければ、自分がドロをかぶらなきゃええんかよ。



 今、あたしらが被っている色んな被害って、親や祖父母や、そのまた前の世代の推し進めた開発であったり改革の落ち度からやろ?訴え様にも、その主な人々は死んでしまってるか、責任をとれるほどの力は残ってないから、その尻拭いを押しつけ合って、おかしくなってるんやないか。


 それをまた、今の子供やまだ見ぬ子供らに尻拭いを押し付けるんか。



 もう、新しいことはせんでええ。


 と、思う。


 これ以上、余計なことはせんでええやろ?



 誉められることを軸にするからおかしくなるんとちゃうか。



 誉められなくても、これだけは守るっていう、なんか、そういう基本軸があらまほしい、と思うねんけどな。




 









 こないだ、ツレと飯を食いに出かけた。



 ツレは会社人なので、飯屋でも、ちょっとしたシステムや対応の違いを細かく見る。


 あたしも、他のお客さんの喋りとかを聞くともなしに聞く。ああ、こういう語彙がメインかなあ、とか、こういうボケにはこういうツッコミ方もあるんや、とか思う。それは、例えば例文の出し方にも影響してくる。


 休日であっても、ツレの携帯にも、あたしの携帯にも、仕事関係のメールは送られてくるので、お喋りを中断して、メールをチェックして返信したり電話をかけたりする。



 ツレも特に内容は言わないし、あたしも聞かない。あたしもツレに内容は言わないし、ツレも聞かない。


 まあ、断片的に言うことはあるけどな。


 仕事とプライベートを分ける、という感覚があたしには、よくわからない。


 職業として持ってしまったら、たとえ遊びのときであっても、ゆるくうすく、仕事のことは根底に漂っている。そこに責任が存在するんやし、信頼も存在するから、遊びや休息を中断するのも必要なことやと、認識してる。


 そういうものだと、なんとなく思っていた。