ありふれた

オマエノコトガシンパイ。シアワセニナッテホシイ。





なんかね。





そういう思いに確かに応えたい、という気持ちはある。







だけども。




自分の中の幸せのカタチと、みんなの幸せのカタチと。



余りに遠くて。










どの幸せも、あたしには選べない。













なので、どれも選ばないことにした。




その「選択」は、時々あたしを苦しめる。








あたしは不幸じゃない。




だけど。






もし、あたしがあたしでなかったら、




他の人が思うところの、「恵まれた」運命を受け入れて、


他の人が思うところの、「幸せ」を享受して、



「幸せになってほしい」と、



懇願され、泣かれることもなかったんやないかと。







あたしがあたしであるがゆえ、あたしを妬んだり恨んだり嫌う人もいて、あたしを深く愛してくれる人もいる。





あたしを恨む人の願いも、愛する人の願いも、



どちらも足蹴にしとるんやなあ。





だからこそ、



あたしは、もう、




自分だけは裏切らないでおこう、と思う。






幸も不幸も。




見ず知らずの人間には、その存在すら知られぬまま、その一生を過ごす人がほとんどでしょ。


それがフツーでしょ?




感動的なラストや落ちが付かないまま、気が付いたら死んでる。



なんかやりかけたことがあっても。




それが、人間のありふれた一生であって。




そういう、ありふれた、ごくふつうの、一生。






それを望む。








あたしの心を切り裂いた、




あの人や


あの子や


かの人の、



死。






自分の死が、他の人の心を切り裂かなければ、



それで十分。






でも、今のあたしには、それも難しいみたいやなあ。






と、別に死にたいわけやないんやけど、




まだまだ、不惑になれとらんし、




難しい。




本当はゴマカシにすぎひん、と思いつつ、本を読んだりとかね。




来年は、少しは、自分の願いに近づけるんやろか。





なんだか無理な気ぃもする。





寄り道し過ぎやしね。