ふー

 年末からずっと休めなかったので、今日があたしにとっては元旦。


 いや、ちゃうな。


 だって大掃除済んでない。



 うとうとしつつ、テレビ見てた。


 えねえっちけー。


 ぷれひすとりっくぱーく?


 なんかそんなん。


 古代のイキモノを現代につれてくるって話で、きもい。



 年代がバラバラの恐竜や動物を連れてきて、「命を助ける」?


 フィクションなんやし、いちいち本気にするな、とも思うんやけど、発想がイヤな感じ。あー気持ち悪いねん!て。



 勝手に現代にマンモスを連れてきて、名前付けて、気候が合わなくて体調が良くないから毛を刈ってあげて「あなたはラッキーよ」とか。「いい子ねー」とか、餌(他の動物)を食べ損ねて(殺し損ねて)飢えていくサーベルタイガーを「かわいそうで見ていられない」とか。こういうのを「優しい」とか「童心を失わない」とか思ってるとしたら、かなり間違ってるんとちゃうか、と思た。



 人間は一人では生きられない。だから、コミュニケーションツールとして、言葉などが存在する。



 そして、人間は人間だけでは生きられない。だから、家畜やペットが存在する。



 珍しいイキモノを手元におきたい、という気持ちはわからんでもないけど。



 イキモノと共存する、というのは別に「仲良くする」とか、「手元に置く」ということではないんとちゃうん。


 尊重するというのともちゃうし。



 ニンゲンの業ってやっかいや。と、ニンゲンであることを、今年ももてあましそうやわ。
















 作る時間がなかったので、ネットで富山の方のお節を注文したら、結構親に好評やって、ほっとした。


 金色の紙製の2段の重箱(母はこれを洗って乾かしてお細工物を入れるのだという)に、30種類の料理がちんまりと収まって1万円。来年もこれにしよ。




 

 年末にブレスレットを落として、落ち込んだ。見つけたことは見つけたんやけど、車に轢かれてバラバラになって半分くらいになっていた。



 もらったときには、そんなにうれしくもなく、気に入ってもいなかったんやけど、着けているうちに愛着もわいて、あたしのものらしくなっていたので。


 天然石などのビーズを買い足して、落ち込んでた割には、ごっついてけとー(適当ですらない)に修復したら、ぱっと見には、以前と変わりなく見えた。


 
 そういう風に。



 ヒトは、以前と変わらないように見えても、少しずつ、修復を繰り返している。



 同じように見えてはいても、少しずつ、変化している。



 変化できるから。




 今年も変化するねんね。