おもうこと

は色々あり、考えることも色々ある。



その結論ははっきりしているものもあれば、それこそ分単位で流動的に変わっていくものもある。



まあしかし、その善し悪しっちゅうか、是非っちゅうか、それはあくまでも、あたしにとっての見解に過ぎないと言えばそうかも知れない。






あたしが一人のヒトと対立したとして、

仮に相手が全面的に悪いと一般的に思われる場合であって、相手を「敵」と位置付けたとしても、



実際その相手がうざいと、あたしは感じるし、生活のメインを守るために遠ざけたり威嚇したり遮断したりするのであるけど、


一番厄介であるのは、それを口外した時にこちらの「味方」となった人々かなぁと思うことが多い。


困惑のあまり、そんなことされたり言われたりする自分に対する自信が揺らぐので、



「あんたは悪くない」と言ってもらいたいあたりが青いんだけども。



そういう時に、


事情だけを了解してくれて、後は基本的に放置してくれると助かるんだけども、



あたし以上に


相手に憤りを覚えて糾弾しようとするヒトや


「味方」であることに乗じて、関係ないことや意味不明なことを織り交ぜてくるヒトは



むちゃくちゃ嫌。



前者に関しては、


ヒト同士の対立において、100:0であることなどまず有り得ないんやから、一方的に相手が百パーセント悪であるなどと断じられたら、あたしの良心の持って行き場がなくなる。


各々の許容範囲や感覚の違いが大き過ぎると、労多くして効が少なすぎるので、あたしはあたしのメイン部分を護るために、なるべく自分にとって心軽い状況を作りたい(勝手やけど)だけであり、事を大きくされたいわけではないのんだ。


後者に至っては、正直、自分の「我が身かわいさ」に付け入られる感覚が激しくイヤ。



自分は「味方」なんだから多少の事は許容されて当然かのような錯覚を繰り返されるのが大変鬱陶しい。




まあいずれにしても、泰然自若とはいかない自分がダメやなあと思い知らされるわけなんやけど、



めんどくさい。