あいあいあいあい

おっさるさぁんだよー。



 お友達が、ある上司について、キレていた。


 「ほんま、あいつの自己愛の強さにはうんざりやわ!」


 明らかな自分のミスを認めようとせんので喧嘩になったという。


 うーん。



 あたしもヤツにはうんざりはしているのだけど、なんか腹立つポイントはちょっとちゃうようではある。


 自己愛のないニンゲンは危ないと思う。


 あたしだって自己愛の塊だにゃ。


 自分を嫌いになりたくないもん。他人に嫌われたっていいから、自分で自分を「いやだなあ」と思うことだけは避けたいのだ。


 と、いう、自己愛の方向性が他の人とずれているみたいだとは思うんだけども。



 ヤツの場合はアレね、あからさまに、みんなに誉めてもらいたいの。すごい、すごい、って言われたいの。


 なのに、絶対に顰蹙を買うことばっかりするの。


 変更するなら前もって確認する、ていう作業を必ず忘れるから。


 自己愛を満たされない方向に動きすぎなのよん。能率が悪すぎやねーん。


 それが見ていて、大変イライラするねん。



 っつうのが、あたしは腹立つのん。



 頭が悪すぎなんやと思う。





 育てられ方も悪かったんやと思う。



 しかし、もうそんな例は、まわりにごろごろしている。



 本人が「こうありたい」「こうみられたい」と思っているのは、見え見えなんだけど、やっていることは「絶対そうは見えない」方向で、努力の無駄遣いみたいなんが。




 本人もどこへ向いて走っていけばいいのかわからなくなってもがいているが、現実と向き合うのが恐いというのもあって、現状維持でグズグズ悩んでいるほうが、まだ楽なのかもしれない。少なくとも今より悪くなることはないから。



 そういう時期は多分誰にもあって、もちろんあたしにもあって、しかし、いつまでも澱んだ世界に引きこもっているわけにもいかない。


 いや、以前なら「いかなかった」


 ところが社会的にも今は「そういう世界」に引きこもり続けていくことが可能なのだなあ、と思う。



 面と向かってがっつり自分を否定するような人間関係があまりないし。


 みんな遠巻きに眺めて、気がついたら、見捨てられている。



 そう思うと、今まで見捨てられ続けてきた結果として、ヤツの行動形式があると思うと、なんだか哀れにもなってくるわけよ。



 だから、あたしはヤツにキツイ言葉を投げかけ続けようと思う。


 ヤツにもアヤツにも。






 

 あ、バトンで書き落とし。


 (B)の方で、どこに入れたってええんだけど、

 萩尾望都の「ケーキケーキケーキ!」

 ホットケーキがうまそうでした。


 他にも書き落としてるなー、って思ってたんだけど、トイレ行って帰ってきたら、がっつし忘れてしまったっす。



 脳が危ない、今日この頃。いや、ずっと前からか。



 洒落にならないわー。