バトン

が、アラダーさんからまわってきました。


 えーと、『料理』ってことなんですが、答え方がよくわかんないので、

 (A)そのまんま『料理』

 と、

 (B)『料理にまつわる本』
 という2種類の解釈に基づいて、答えてみます。


 〈A)Q1.パソコンまたは本棚に入っている『料理』は?

 そこには料理は入ってません。冷蔵庫には、昨日までブリのあらと大根の煮付、割り干し大根の合え物が入っていました。

 今、現在在宅時間が一日平均5時間程度で、そのほとんどが睡眠に当てられるので、自宅ではあまり料理そのものをしないのよね。


 しても、隙間的に作るので煮炊きとは言えないか。
 ☆ブリのあらの煮物

 ①ブリのあらを新聞紙に広げ、塩をばら撒いてしばらく放置。
 ②大根をむいて乱切りし、昆布と一緒に酒と振り掛け水を加えて、電子レンジでチン。
 ③ブリは水洗いし、酒とともにチン。
 ④大根の容器に酒(標準の何倍も使います、あたしは)とみりん、薄口醤油を1:1:1で、この順に一つ入れたらチン、もひとつ入れたらチン、を繰り返す。
 ⑤ブリを加えて、更にチン。

 そのまま放置。何かのついでにまたチンの繰り返しで、一晩置く。

 ブリを食べ尽くしたら、焼き豆腐などを加えて、またチンして、飯にぶっかけて食います。

 ※1:鍋で煮たいのですが、立ったまま眠ったりして、気がつくと焦げていることも多いので、最近は電子レンジを使うことが多いです。
 ※2:大根は輪切りにして面取りすると上品ですが、乱切りにすると、ほろほろに煮崩れた部分と、歯ごたえの残っているところとがあって、私はこちらのほうが好き。ご飯に汁ごと混ぜて食べるときに、煮崩れてくれているほうが、更に下品度がアップしますし。

 ☆割り干しの和え物

 割り干し大根は干し椎茸と共に一晩ぬるま湯につけて置きます。
 翌日、酒を加えて、わーと煮て、ざくざく一口大に切り、すし酢と、炒った大豆(節分の残りです)と昆布、鷹の爪、と共にビンに詰めて冷蔵庫においておきます。

 あ、これは、和え物じゃなくて、漬物か。


 食べるときに菜の花をゆでたのとかと混ぜて食べるときもあります。


 ※割り干し大根は、仕事先の近所の農家などが売っているのを使っていますが、余裕があれば、自分でも作れます。単に、縦割にして、干すだけです。切り干しよりも歯ごたえがあって、私は好きです、切り干しも、大根を風呂吹きにするときに、かなり分厚く向いた皮を干して作るときもありますが。煮物や炒め物に使ってもおいしいよね。


 Q2.今妄想している『料理』は?


 ないです。


 料理に関しては、習ったこともないし、本を見てそのとおりに作ったこともないし、とりあえずある材料で、そのときにできるものを作る、というだけですね。

 Q3.最初に出会った『料理』は?

 口にした、という意味でなら、覚えてない。次のうちのどれかだと思われ。

 物心ついた頃、よくお世話になっていたおうちが、ニュージーランド人と中国人のお宅だったのですが、ニュージーランドのほうは、オートミールをよく食べてた気がする。チーズも良く食べた。て、それは料理じゃないね。中国のほうは北京料理が良く出ていた。たまに食べられる豆腐のチーズが好きでした。シャンツァイと緑豆春雨が私にとってのお袋の味。あとは祖母が体の弱い私の消化を気遣って、これでもか、というくらいに煮込んでふにゃふにゃになった鍋焼きうどん。



 最初に作った、というなら、だし巻きたかったスクランブルエッグ。


 小学生の頃、両親が共働き、ということでお手伝いさんがきてたのですが、怠け者の彼女は店屋物のオムライスかとんかつ定食、そしてボンカレーのローテーションだったため、家族の機嫌が悪化してたのです。「これなら、自分で作ってもええか」と、10歳くらいから、作るようになりました。

 
 フライパンに油がなじむのが待てなくて、卵が鍋に張り付きぐちゃぐちゃに。ほうれん草をゆでたのに混ぜてごまかしました。

 以来、ごまかしから生じたおかずばかりを作りつづけてきました。


 Q4.特別な思い入れのある『料理』は?

 これも特にないなあ。

 自分が食べるだけのためなら、あたし海苔の佃煮とご飯だけでもいいし、パンとバターだけでもいいんです。出されたものは、毒が入っていないかぎりはいただきます。


 作るのも、そこに材料があるからだったり、そこに食べるヒトがいるからなので、自己表現の一種ではないしなあ。食べるヒトが、そのとき食べたいものがありあわせの中で作れたら、それでええんではないかと。材料は無駄にしない。お百姓さんやもろもろの努力を無駄にしない。だから、自分で買ってももらっても、自分に作る余裕がないときは、作る余裕のある友達などにさくっと差し上げています。


 
 (B)『料理にまつわる本』編

 
 Q1.パソコンまたは本棚に入っている『料理にまつわる本』は?

 作り方の本はないです。一日5食くらい作っていたときは、材料が偏るのでオレンジページやクロワッサンの特集を集めてたかな。材料の組み合わせを見るくらいで、作り方をちゃんと読んだ覚えがないけど。

 料理のまつわるエピソードが入っている本、といえば、田辺聖子を一時良く読んでいましたね。描写が大変にうまそうです。関東に住んでいたとき、関西弁の違いなど、も興味深かった。それまで、関西に住んでいながら、「関西弁をしゃべれない子供」で周りから「標準語で気持ちが悪い」と言われて育っていたので、関西を出て初めて関西風の味付けや言葉を知ったきっかけでした。

 あとは、漫画。「喰いタン」面白い。
 
 「大使閣下の料理人」と、「ザ・シェフ」を最近古本で購入。後者はどう見ても「ブラックジャック」のパクリな主人公ですが、東山紀之主演でドラマ化されていました。とても観ていて、痛かったので、「喰いタン」も痛いのだろうと推測。その痛さが病みつきになる場合もありますが。
て、それはあたしか。


 
 Q2.今妄想している『料理にまつわる本』は?

 匂い付き?


 …想像したら、気持ち悪くなった(今満腹状態)ので却下。


 
 Q3.最初に出会った『料理にまつわる本』は?
 
 うちにあった「家庭大辞典」の料理の項かなあ。

 題名も何もかも忘れたけど、小学校の図書室に置いてあった、「翼のある一族」と人間の子(確か最後には結婚してたような)の物語で、病気を治すために「空の紫になっている部分」を切り取ってきて食べさせる、というのが非常においしそうでした。あ、料理じゃないか。


 「赤毛のアン」のシリーズのどれか(途中からかなりうんざりして義務感だけで読んでいた気がする)に、少年がかわいがっていた鶏が、牧師さんが来る、というので、料理されてしまい、牧師さんが「神のご加護を」といって、食前の祈りを捧げるのを少年が「僕の鶏には神のご加護はなかったんだ」と、つらい気持ちで眺めている描写があり、しばらく鶏肉を料理できなかった時期がありました。話は全然覚えてないんですけどね。

 余談ですが、南條範夫(だったっけ)の「城下の少年」という小説も話は全く覚えていないのですが、主人公が友達から秋刀魚を食べた後の口臭をかいで「秋刀魚の匂いは好きだが、ヒトの口から漂う秋刀魚の匂いは好きではない」と思っている描写のみ、忘れられません。
 

 Q4.特別な思い入れのある『料理にまつわる本』は?

 『美味しんぼ』かなあ。


 あれだけぐだぐだ薀蓄をたれる漫画の登場は当時新鮮でしたね。あの時はスピリッツも隔週発行で面白かったし。その後の世相・文化にも色々影響を与えた漫画だとは思う。好きか、と問われると難しいけど。


 薀蓄、といえば、伊丹十三氏も色々たれてたなあ。

 ミニコミ誌でアグネス・チャンが貧しかった母親の郷で振舞われた野菜料理や蕎麦について語っていたエッセイが、私にとってのアグネス像を大きく変えたのが印象に残っています。食べ物を大切にするヒトはみんな好き。




 こんな感じです。