ゆめってなんやねん
このごろムズムズしてます。
うんにゃー、花粉症でなくてね。
そう言う系統に対しては、全く鈍感な体質なのです。
10人以上が2、3個ずつしか食べなかった生牡蠣を一人だけ10個以上食べて、一人だけ食中毒を免れたのはァ、あたしだよ。
生まれたとき、「この子が小学校を卒業できるまで生き延びられるかどうか」と言われたらしいけど、そういうヤツに限って長生きするんだな、ああやだやだ。
宇多田ヒカルの新曲を聞いてて、ムズムズしてるわけです。
国家公務員なんて夢がないのか。
ヒッキーは好きなのよ。
だけどさ、これって、なあ、と思う。
すごく日本人の常識か?というくらい、よく言われるのを聞くし、彼女もその洗礼を受けちゃった感じもすんねんけど。
「大統領」とか「ノーベル賞をもらうような科学者」とか「宇宙飛行士」とか。
そういうのんが「スケールの大きな夢」であり、地道、と思われる職業は「スケールの小さい夢」、と、幼い頃から刷り込まれてきた感がある。
すごく強引に言うと、それが現在の「ニート」を増やす一因だとも思えてならないのさ。
公務員になる、というのが夢がないのなら、今現在公務員として働いてるヒトビトはもともと夢が無いか、夢を捨ててしまったヒトビトなのですか?
そりゃ、いわゆる公僕だから、「職業差別だ!」と反撃される恐れはあんまりないし、悪口を言う=社会を真剣に考えるポーズを示せる、と思っているヒトは多い、ような気がする。
確かにろくでもない奴あ多い。
でも、一方で、きちんと自分のノルマ以上のことをやろうと努力を続けているヒトビトも、あたしはわずかながら知っているわけで切ない。
それに、「国民の血税を!」とキンキン声で言うとるくせに、節税・脱税に熱心だったりする奴も知ってたりもする。あたしの「血税」なんざ、微々たる物って気持ちもあるかなあ。そんなわずかな税金で、公務員を自分の下で養ってやっている、なんて勘違いするのも、なんだかね、と思うしなあ。
わぁわあ、言うとるけど、それほど、公務員の仕事のすべてを把握しとる人間がどれだけおるというのだろう。
自分は大したことをしてへんくせに、相手が公務員だと、ずいぶん偉そうに文句たれてるのも、いかにもイヤな感じではある。
ああ、なんか議論がずれてきてる気ぃがする。
無理やり戻すで。
だけど、公務員がいなければ、国家は破綻するしね。
競争とは離れた発想で日々の業務をこなすヒトビトによって日々の安寧が保たれていることは否定できひんと思うんだ。
創造とか、発明とか、新発見とか。
そういうものを含有していなければ、夢がないという教育。
本当かなあ。まあ、本当かもとも思うけど。
自分の中にありさえすれば、自分にとっての創造や発明や発見があれば、それは他の誰に認められなくても、人間は幸福なのではないか、と思う。
「周りから見て」創造性がある、とか、先見の明がある、とか、「偉いヒトになる」とか、「前人未到」とか、そういうことだけが「上昇志向がある」とか、「スケールが大きい」とか、幼い頃から吹き込みすぎやと思うねん。それを「客観的に見て」と勘違いしている感じがする。
何千年も続いた歴史の中で数多の人間が色々やり尽くした現代で、一朝一夕に他と違う功績をあげるのは困難であるし、昨日は善だと思われていたものが、今日悪であったり、副作用があったり、リスクも大きい。
そんな中で、他より優れていることを示せ、と育てられた子供が「それはなんとなく無理」と感じたら、それ以上前へ踏み出せるのだろうか。
夢のない仕事、と日常的に言われ続けている職につき、誇りをもてるのだろうか。
公務員にしろ、サラリーマンにしろ、逆に一般のヒトビトが「すごーい」と、中身も何も見ずに、職名だけを見て闇雲に崇め奉っている医者などの職業にしても、本来はその中で果たすべき業務を追究し遵守すれば、いずれもすばらしい職業になりうるはずであるのに、自分にとって有利であるかどうかを考えすぎて、自分にとって有利にならなければ、その職業やその職業についている人々を必要以上に貶めるケッタイな癖をつけられているように思う。
本当に難しくて、本当に大きな夢ってなんだろう。
あたしにとっては、お互いの知っている人々が、理不尽に生きる道を他人にも大自然にも断たれずに、争うことも憎み合うこともなく、暮らしていける、そんな世の中で生をまっとうすることなんですが。