はやくにんげんになりたい
あかんなあ。
悪癖が。
エンジンを切ると、緊張の糸も切れるんか、そのまま車の中でばっくすいしてまう。
で、寒くて目が醒める、と。
以前の駐車場は道路に向かってコンニチワ型の駐車だったため、通行人に仇な寝姿を漏れなく晒す羞恥プレイ(うるさい、眠いもんは眠いんじゃ)だったんだけど、今はちゃうから歯止めなし。
いっそのことクルマの中にシュラフ持ちこもうかしら(毛布はすでにある)。
今寝ないと、もうあと20時間以上、眠るチャンスがないとわかっとるのに、眠れず、かといって仕事が進むわけでもなく、ネットに逃げていたら、自分的地雷を踏んでしまい、更に眠れなくなり、ああもうこりゃ今眠ったら起きられないし、うんじゃあドリンクでも飲んで24時間闘ってみようかとか。
普通のヒトになりたいなあ、と、長いこと思っていたことがある。
こういう表現は適切ではないかもしれんけど、
目の前にあるものを見ないフリできたり、
自分の状況を他人や社会のせいにできたら、
それは楽なのかなあ、
とかね。
「普通の女の子の幸せをつかんで下さい」
と、あたしに言い遺したヒトがいた。
しかしなあ。
それは、どうも、あたしの欲しい「幸せ」ではないみたいよ。
だって、身体が拒否ったもん。
バグだらけやったんやもん。
筆跡を見るヒトに、
「自分を繕わなさ過ぎて苦労するヒトの字」
て、言われたけど、
自分で繕ってないとも思わないけど、一般に「繕う」部分を繕う方が、よっぽど、しんどいんだと思う。わからんけど。
イイ人、やさしい人、と思われたくないわけでもないし、出来れば、そう思っててくれたほうがええのかもしれへんとか強く思うときもあるけど。それは今でも時々強く出て、自分でもキモいなあとかサブイボでることもあるけど。
あかん。
ムリ。
嫌われたくないから、とか、自分のせいになるから、とか、そんなん思てたら、間に合わへん。
あの時、もっと強く言ってたら。
目を背けなかったら。
さっさと行動に移してたら。
このままでは、〜ってことになるやろ、と思ってたらそうなってしまった、防ぐ方法はあったのに、
という後悔はもう増やしたく無いし。
せやから、きっと「フツーのニンゲン」にはなられへんのやと思います。
教育委員会を引退したヒトと会った。
「教育委員会のシステム自体が間違ってるからね」
と、そのヒトは、話すたびに言うのだけど。
「多分、自分が言うのもなんだけど、教育に関わってる人間が一番教育についてわかってないんだと思う」
とか、こっちの暗澹たる憶測(はずれて欲しいって思ってんのに)を、確信に変えるようなことをいつも言われる。
実際、口頭でしか漏らしてもらえない情報は、ネットなどには決して流れない種のもので。必要だからこちらから望んで漏らしてもらうんだけど、それを消化し切れずに、どよんとなる。
どよんとなるけど、それでも動こうと思えるんやし、つうことは別に行き詰まってるわけでもないよなあ。不幸でもないしなあ。不幸だと思うのも、酔ってる間は、それはそれでシアワセなので否定はせえへんけどね、酔いが醒めたあとが最悪やけど。
Storytelling Scotland (Donald Smith) を読んでる。古本屋で見つけた。わりかし平易な英語で書かれているから、初心者でも読みやすいと思う。後でスコットランドの作家の本を読み返したら、言語背景とか、もっと理解が深まるかも知れへん。が、そんなことをいちいち意識して本を選んでるわけでもない。てきとーな事を言うてみました。
同時進行で一般教養向けの物理数学を解いたりしてる。
そういう逃避をしているから、余計に睡眠時間を削ってるという説もある。
鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトトギス。
って、誰がゆうた?
と、生徒に聞いたりしてみた。
鳴かぬなら、ほっといたれよ、ホトトギス。