やりきれない

取り返しのつかないことを


してしまったことは


今更悔いてもしょうがない。






だけど









出てくる言葉は責任転嫁と自己弁護ばかり。





自分の子にどういう事をしてしまったのか。




子供に申し訳ない、という言葉があったら、




少しは救われるのに。











戦禍の下で育まれた文化がある。

弾圧のおかげで生まれた文化もある。




それは否定しない。



だけど。




それは絶望の中に、ほんの僅かな光でも掴もうとする、ヒトの最期の力によるものであって。





それによって戦争や弾圧が肯定されるものではない。



そのような文化を育まねばならなかったほど、無数の犠牲が払われ、無数の心が失われていったのだ。





親に失望し、親を見切り、親を捨てることで成長を遂げ強くなる子供がいる。







だからどんなひどい親でもいいということにはならない。





そんな親の元であっても、障害を乗り越え育っていく子供はたしかにいる。




一人でもそうであって欲しいけれど。




その一方で無数の子供の命や心が失われているのだ。






心が引き裂かれていくのを止めようと、もがく。




差し出した手がちぎれても構わないけど。




こちらに必死に伸ばされた手を握りしめるのが精一杯で。




底の無い沼から引きずり出すには嘆いているヒマはなく。




力を抜けば再び沼に引きずり込まれ。




力を入れすぎれば、体を裂かれる痛みに子供は苦しみ悶える。




もう少しもう少しと




その言葉は




あの子を励まそうとしているのか




自分を励まそうとしているのか。