いきなりですか
本屋で目的の本があるかどうか、ウロウロするのが面倒なんで、大抵電話で確かめて取り置きしてもらってしまう。
そゆことで来月号からはナックルズは必ず手元に。ふふふふふ。
さて、今朝のことだけど。
あとうはてんしょくをおもいついた。
今の仕事はなりゆきからなったわけだけど。
いい加減にやっているつもりは毛頭ない。
生活というのもある。
しかし生活のために不必要な、子供のためのお金を、あたしに支払われたくない。から、余計な仕事は受けたくないねん。
だからすがるような仕事の取り方もしたくない。
などと考えていた。
ら、ひとつあるなあ。今のあたしのスタンスを変えずにやれることが。
まあ、数年かかるみたいやけどね。
知り合いにどないやろ?と聞いてみた。
三年前位だったらむいてへんかったと思うけど、今はかなりむいてるんとちゃうんとちゃうか。
てゆうわけで。
まあ、今カタつけとかなあかんことをやってしもたら動こうかなあ。
そのときはここも閉めて流浪の旅へ。
ぼへみあーん。
別に明日死んだとしても、それはしょうがないとか思う。
悔いが残るかどうかは、それはあたしの問題であって、運命やしなあ。
一生懸命な部分もあるし、ええ加減な大部分もある今までの人生なわけやけど。
じゃあ、一生懸命な部分が機能してたんか、ていうと、そうも思えん。
そのときは、そら必死やったけども、結果がうまくいったのは、生徒自身の努力が実っただけのことやし、うまくいかなかったのには、あたし自身のやり方に盲点があったんとちゃうか。て、いつも思う。
また、親や親の世代に対しても思うことは多い。
あたしが世の中に望むのは適切な努力を重ねる子供をきちんと評価して欲しい、プロはプロとしての責任を自覚して実行して欲しい、とか、まあそれくらいしかないんやけど。それくらい、がえらく難しい。
今の世の中で子供が守れるか。
あたしの中で
否否否!
て、こだまする。
将来の為に勉強させてんのに、それが報われるのか、と生徒に問われて窮するあたしがいる。
盲点を克服せん限り、あたしはこの世での落とし前をつけられへんねん。たぶん。
せやし、切り口を変える。
それだけだ。
うん。