ことごとこ

 じゃなくて。



 ことごとく。



 ことごとく価値観がずれとるなあ、あたし、とか、日々思うわけです。




 価値観?



 ああ、ちゃうなあ。



 感覚?



 かなあ。




 まあ、たとえば。



 食い物の賞味期限が過ぎているものと過ぎてへんものがあるとしよう。




 そうすると、あたしは当然過ぎているものをとり、ホカのヒトには過ぎてへんものを。




 そうすると



 「優しい」とか言われる。




 ちゃう。



 

 だって。




 持久力その他もろもろ、健康関係については標準をかなり下回っていたことはあるけど、





 食中毒にだけはなったことがない。




 (あ、傷病みもない)




 だから、本格的に腐ってない限りは、あたしはどっちでもええねん。






 腐ってたら、あたしも相手も食べられない。



 じゃあ、食べられるものを、お互い食べたらええやん。



 それが効率的やん。




 と、ゆーこと。




 

 何事か、あったとして。




 それを、あたしが引き受けるとして。



 しかし、あたし以外に、こんなんふるなよ、というとき。




 別にそれを引き受けるのが嫌、ちゅうわけでもない。



 まあ、重なれば腹立つしキレルやろけど。





 あたしはヘイキ。



 でも、ホカはそうとは限らない。




 





 年をとったなあ、と。



 もう、徹夜できひんわ、と。



 よく耳にする、そういう年頃。





 あたしも、白髪が出てきた。




 でも、今がこれまでの一生の中で、一番体力があるねん。




 徹夜も、20代のときは、一晩やったら、その一週間は使い物にならなかったけど、今は、1、2時間も仮眠をとったら、もうヘイキ。



 



 手伝う、というと。




 その仕事の中で一番体力的というか労力的に大変で専門的でない部分を手伝うのが、当たり前なんとちゃうん。



 だって手伝いを求めるほど、その人はしんどいわけなんとちゃうん。主はその人なわけやから、主導権はその人があくまで握り、こっちはそのテンポを狂わさないようにする。



 ということをやったら、驚かれる、のは、いつも不思議やね。そして面倒くさい。









 変なの。




















 あるヒトが助かるとして。



 それは、助かった、ということが重要なのであって、誰が助けたかは重要でない。




 

 あるヒトを助けた、として、




 その人が、次の段階に進めたら、それでいい。




 その人が、次も助けてもらえると甘えてしまって、もう努力しなくなったとしたら、それは「助けた」のではなくて、単に余計なお節介だったに過ぎない。











 自転車、乗るとやはりぼけるわ。



 わき道から歩行者や自転車が見えると、つい止まってしまうし。



 曲がるとき、右手がウィンカーをはじこうとしてピクピクする。




 赤信号だろうが、前に歩行者がいようが、突っ込んでいけるおばちゃんの感覚ってすごいな!まじで!と感心するけどうらやましくない。




 














 お腹が出てるヒトと腰を傷めてるヒトって、重なってる気ぃする。



 重いものを持ち上げるとき、あたしは腹筋やケツ、太ももなんかに力が入って、腰には意識がいかないんやけど、腰を傷めてるヒトは、どうも腰や背筋を使おうとする傾向があるぽい。



 ばらばら、



 思ったこと。