砂になりたい

 すぴりちゅあるのヒトをテレビで偶然みた。



 


 まあ、予測通りっつうか。




 なんだかなあ。






 

 ちょっと昔、バイトをしようとしてて、





 「こんなんあるで」





 と、トモダチが見せてくれたのは





 『占い師募集。未経験者歓迎』







 そういうもんでしょ。




 



 そういうものにすがろうというひと、すがろうとする瞬間というのは、結構皆似通っているので。





 すこーし、アイマイ気味にハナシをふっていったら、大抵は、食いついてくる表情で、次に何を言って欲しいか、読めてしまうもんやろ。






 現実に入ってくる情報からでは、自分に都合の良い結果は得られそうにもない。



 そういうものに頼れば、都合の良い未来を夢見ることは可能かもしれへん。




 本能的にはわかってるんやろううけど。





















 ハナシはかわるけど。






 自分が不治の病になったとして。




 きっと、



 あたしは、その不治の病とやらを、撲滅しようとかは全然思わへんのやろ、と思う。




 いや、



 撲滅したい、という気持ちはわかるんやけども。



 ひとつの死因が、たとえなくなっても、



 またひとつ、



 他の死因が増えるだけや。






 心臓移植で助かるようになった子供が一人いたら。




 心臓をえぐられるためにさらわれる子供もいる。




 だから。




 もし、自分に子供がいたとして、



 その子が



 他の心臓を必要としていたとしたら?






 あたしが、他人の子供の心臓を、奪いたい、とか、ちょうど頃合に適合する子供が事故で死んでくれてラッキー、と思わない保証は、




 まったくない。







 確率は




 多少変化するにしても。






 ヒトはおしなべて、自分の死因を選べない。




 じゃあ、自殺は?





 それだって。



 結局は、細かい、幾千幾万もの偶然によって。














 それでも。ヒトは抗うのが特徴なイキモノやしね。




 何千年もの間、抗って、今がこうなんやから、もう少し、賢くなってもええんとちゃうかともよぎるねんけど。




 無理なんやろなあ。






 



 ナニカをコントロールできる、と。









 思ってしまった分だけ



 アホになってしもたのかもしれへん。









 知能が高まるということは、それだけ、



 アホになってまう、





 ことなんかもなあ。














 


 もうすぐ夏休み。





 時々、生徒からお土産をもらう。








 親御さんからもらうこともある。




 いっぺん、




 穴あきの紐パンを親御さんからもらったんですけど。




 手違いだと思いたい。






 というか、手違い以外ありえない。





 だって、いつもは生徒に託けたあと、必ず電話があって、



 「気に入ってもらえました?」コールがあんねんけど、



 その時に限っては、何も言ってこなかったし。




 









 捨てるわけにも、返すわけにもいかなくて。





 どこにしまったんやったっけ?アレ。










 みんな、お小遣いをやりくりして、おみやげをくれる。







 だけど。




 一番うれしかったのは?






 と、問われれば。





 卒業してから、バイクでの一人旅に出た子が、




 フィルムケースにつめた、




 ガラス瓶が、波にさらされて、丸く小石になったのが混ざった、海岸の砂。






 おしゃれやなくて、素ぅでぼろぼろになった、ジーンズのポケットから、




 ぱりぱりに、焼けた皮が、ぽろぽろ剥けた手で




 取り出した、



 この、



 ケースの中の、



 しゃらしゃら



 音を立てる、




 この砂たち。





 ふたを開けて、こぼせば




 きっともう見分けがつかなくなって、




 街の風にまぎれてしまうだろうけど





 それでも、




 大切なものには違いない。







 




 いつか、






 あたしが骨になったとき。




 一緒に風に吹かれよう。








 

 とかいうんのんで〆ると、なんだか。






 まあ、酒入りやしね。




 戯言やね。