みえてもみえなくてもええやんか
幽霊って、恐い、という。
あたしは、むしろ、生きてる人間の方が、アレやと思うで。
あたしは、見えたり見えなかったりするけど、その人々が「恐い」と思ったことはない。
「困ったな〜」と感じることはあっても。
霊障とかいう。幽霊そのものの存在よりも、そっちのほうが疑わしい。
生きている人間の世界では、生きている人間がメインなのである。
生きている間に、叶えられなかった思いは、死んでしまったら、完全にそのフィールドからリタイアしたわけで、もう叶えられっこないのです。
望んで望んで、思いつめて思いつめるだけで、この世界を変えられるもんなら、生きているうちに、とっくにできてるってば。
だから、先祖やらに祈って今の自分を良くしてもらおう、なんて大間違いもいいところだわな。
この世をリタイアした人を現世に引きずり戻して、なんとかしてもらおう、なんて虫がいいにもホドがあります。
虫のいい、現実逃避に死者を使うな。さ迷う霊を、いたずらに呼んで更に迷わせるようなことをするな。
あの人達はあの人達で、放っておいてあげてください。あの世の枠内で、あの人達自身が解決しなくてはならないのです、きっと。それに便乗すべきではない。
生きているニンゲンは、生きているうちに、自分の力で、自分の落とし前をつけなくてはならないのです。
後悔することはいっぱいあって、どんなに一所懸命なつもりでも、取り戻せない失敗はたくさんある。
それでも戻れない時間を、戻れもしないのに、ただ戻りたい、と夢想に時間をかけて今の時間をまた、後で後悔するなら、なんのために生きているのかわからない。生きてるのに幽霊の真似っこですか?
それに、あたしは、戻りたいとは思わない。
無垢な時代に戻りたい、という人がいるけれど、無垢、というのは、裏を返せば、周りのことも知らず、人の役に立つ術さえ知らない、ということじゃないか。
下らないことを考え、口にも出し、行動にも移し、恥もいっぱいかいた。馬鹿にもされたこともあったけど、それは本当に馬鹿なんだし、しょうがないじゃないか。それを受け入れられないのは、自分のうんこをふけないのと同じなのである。とりあえず、水に流して、洗って、それで生きている。
思いを残して、死んでからもグズグズ生き残った人達に、グチグチと現実逃避のネタを提供するなんてばかばかしい。
見えるか見えないか。
ヒトって、自分に必要がないものは、目の前にあっても存在に気がつかない。
見えないなら、必要ないんだし、見えたからといって、現実の中の一つに過ぎない。
今、見えているものを、ちゃんと見て、見えないものを恐がっていないで。
本当に恐いのは、見えるはずのものを、見ないで、目ぇをつぶって、道を歩くことなんとちゃうん?
目隠しをして、ヒトの手を引っ張って行列に参加しなさいというヒトがいたので、ちょっと怒ってみました。