ナニヲミル

 なんとなくタイトルを変えてみた。お久しぶりやね。













 少し落ち着いてきたお花見モード。


 桜はそれなりに綺麗だとは思うけど、みんなで集まって、というのは、実際はぴんとけーへん。



 きちーと後始末して帰らはるヒトもいるけど、稀だし、終わった後の公園やらの状態がかなり悲惨。またお酒が入っているのもあって、ちょっと傍若無人ぽくて、素面で通りすぎているとき、はっきり言うて不愉快なんだよ。

 ツツシミがない、と思ってしまう。



 ツツシミがない祭りが日本人に欠かせないというならば、いつでも日本人なんてドロップアウトしてやるね。








 て、何を怒ってるんだか。怒ってません。






 信号待ちのとき。


 ふと顔を上げて窓の外を見たとき。


 思いがけず、ああ、桜が咲いている、と。



 その程度であたしは十分なのだ。













 昔、あるおうちの庭には桜の木があった。


 あたしはそこの曲がりくねった松の木の方がお気に入りだったけど。


 季節になると、花びらが四方に舞い散るので、おばさんが

 「今年もご迷惑をかけます」

 と、和菓子を持って近所中に挨拶して廻るのが習いだった。


 甘党ではないあたしも、家族も、近所の人々も、毎年少しずつ違う美しい春の菓子を見るのを楽しみにしていた。


 「私もね、ご挨拶にかこつけて、和菓子を見繕うのが楽しみでね。皆さんが快く受け取ってくださるからありがたいわ」


 それだのに、おばさんは、毎朝早く起きて、近所中の道に散った花びらを掃き集めるのだ。裏には公園があり、その大半は公園の桜だとしても。

  
 
 
 あれは中学生のときだったか。


 喧嘩して、裸足でうちを飛び出た。



 ら、おじさんにぶつかった。


 おじさんは、長身の無口なヒトで、とっつきにくく、「こんにちは」くらいしか話したことがない。毎朝黒塗りの会社の車が迎えに来ていて、道で会うことも少なかった。


 あ。



 「うむ」



 ヘチマ衿のカーディガンをさらりと脱いで、おじさんは私に着せ掛けると、


 「なんだか冷える。うちに入りなさい」


 と、招き入れた。



 びくびく、ついていく。大声のやりとりはおじさんたちの耳に思いきり入っていたものらしい。



 縁側に面した、座敷。


 螺鈿の見事な細工の仏壇の前で、居心地悪く、もじもじと、うつむいてあたしは座っていた。


 「まあまあ、こんなおじさんに声をかけられて恐かったでしょう」


 おばさんがお茶と和菓子を出してくれた。温かいお絞りも添えてあった。


 涙でくちゃくちゃになった顔を見られたくなくて、縁側に顔をそむけると、そこに桜があった。




 「今年も咲いたな」


 おじさんがつぶやいた。


 「まあ、本来は、桜は庭木にはふさわしくないんだがな」

 
 庭はそれほど広いものではなく、なのに沢山の庭木がそれぞれ綺麗に手入れされている。うっとり見入った。


 「降りてみるか」


 おじさんは、

 「これはヒイラギ」

 「これは柘植」

 と、一つ一つ声に出していく。


 「さあ、次に来たとき、どれくらい覚えているかなあ」

 うちの玄関までついてきてくれて、にっこりした。



 
    


 その玄関は、震災で崩れて無くなっていた。



 おじさんちも崩れて原型をとどめない塀を前に、


 「ううむ、これは参ったなあ」


 と、腕組みしてた。



 建て直して戻ってくるよ、と言ったけど。



 年齢も高くて、もう二人だけでは、とのことで息子夫婦と一緒に暮らすことになった。





 「今度の自宅は狭いから」


 と、螺鈿の仏壇はトラックの中でバリバリとつぶされてもって行かれた。


 桜も松も柘植も柊も、すべて引き抜かれて更地になった。




 そして、おじさんと「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と、言葉を交わすことはなくなった。









 「あんたも探して」



 母から電話がかかってきたのは、震災から一年ほど経った春だった。



 おじさんが行方不明だと言うのだ。


 あちらに移り住んでから、おじさんの様子がおかしくなったらしい。とは聞いていた。



 着の身着のままでいなくなったらしい。



 辺りは真っ暗になって、少し冷えてきた。


 半ばあきらめて、とぼとぼ、近所の公園の脇を通りすぎると、見覚えのある背の高い人影。


 「やあ、りんちゃん、お帰り、学校はどうだい?」


 桜の花びらが舞い散る中のおじさんは、昔と変わらない笑顔で。



 

 あたしは中学生みたいに、うんうん、しか言えないで、おじさんのヘチマ衿のカーディガンの袖口をつかんでいた。



 車でゆうに一時間以上かかるところから、おじさんはパジャマにカーディガン一つで歩いてきたのだ。






 それから、時々、おじさんはおばさんに付き添われて、近所にやってくるようになった。


 そうすると、しばらくは落ち着いて、穏やかになるそうだ。



 そのたびに、「やあ、りんちゃん、大きくなったなあ」と、目を細めるのだった。




 そして、ある日、眠るように逝ってしまわれた。おばさんもまもなくのことだった。











 夜、桜の木を見ると、そこにおじさんが立っているのではないか、



 と、あたしは今でも探してしまいます。



 そして今年も。



 
 花びらの形の干菓子を買って。



 目を閉じて、



 あの縁側から見た桜を。

 
 おじさんの声を。


 おばさんの笑顔を思い出す。





 そのときそのときに心を打った桜の風景は他にもあって、そこには切ない気持ちや、淡い気分や、想い出がある。





 それはどれもそのときしか、味わうことのできない景色であって、取り戻したいと願うものではないけど。




 恐らく、取り戻したい、と願わずにいられるなら、きっとそれは今が幸せだからだろう。




 取り戻せない、からではなく。