あなくろ

 こないだ本職関係のことをうだうだ書いて、結局消してしまいました。



 受験て何かなぁ。



 と、よく考える。




 自分自身は、周囲に学者関係や医師弁護士あたりが多い環境で、育って、そのヒトビトが、あんまり尊敬するもんでもないなあ、と思って育ったので、大学進学は、家事から逃れる手段くらいにしか考えなかった。



 周りのヒトが絶対行かないだろう、知り合いがいないだろう、という観点でしか学校を選ばなかった。



 学校の先生も嫌いだったしね。

 
 高校ン時、よく「しょうもないから帰っていいですか?」て、途中で帰ってたね。でも、欠席扱いにはなってなかったけど。


 そういう自分が受験指導をしていること自体が、なんかおかしいデ、とも思うねん。



 実際、今の受験に対する考え方も、なんかちゃうなあ、て思っている。


 いわゆる偏差値が高い名門校に合格することで、全てが決まり、いろいろな面での免罪符を得る、と信じ込んでいる親とかね。


 あほな。


 あんな、何十年も繰り返されてきて、焼き直しの焼き直しのような問題に毛ぇが生えたもんが解けたところで、全てがわかるとか、総合能力の判定になるわけないやん、と思う。


 それで自分は選ばれた人間だと信じ込む、としたら、ごっつう頭悪すぎとちゃうやろか。



 ただ、個人の努力が比較的純粋に評価される、稀なシステムではあると思う。



 分かりやすい例で言えば、恋愛では、いくら相手の好みを分析して、気に入られるよう、気に入られるように努力したって、思いがかなうとは限らない。社会に出て、仕事でいくら頑張っても、その評価が自分のものとなるとは限らない。


 そういう点では、正しい方向に適切な努力がなされたかどうか、を比較的見てもらえるし、客観的な評価基準も割合安定しているので、それからの自信の根本にはなりやすいかもしれない。



 また、大学という施設を経ないとなれない職種もあるし。


 その子が、実際にその中に入ってみて、自分の目で確かめた時に、それまで想像していたものとは別物であったことに気がついたりするのは、別に悪いことではないので、目指してみて自分がどれほど頑張れるか、やってみることは悪いことではない、と思う。





 
 あー。


 いろいろな思いがあることは、自分でも整理しきれないので、やはり整理しきれない文章になることは避けられない。















 さて、と。





 あなくろ。と思うのは、しょっちゅうやねんけど。



 例えば、動物園。あれは前時代的な発想の遺物やね。と。



 野生は野生のままに、不可侵であることが本来は理想である、と、あたしは思っている。し、事実、地球環境全体の保全を語るなら、生き物を本来の生息地から引き離すのは、好ましくないだろう。



 


 安易な発想で、本来の生息地から引き離して、コレクションしようというのは、なんだかな、と思う。



 その時点で既に、「共存すべき同等のイキモノ」だと思ってないわけで、人間の傲慢な感じがひしひしして、なんかヤダ。


 あたしは肉も食えば、魚も食う。時には昆虫だって食うさ。植物にしたって命を持っていることには変わりはないから、何がしかの命を食らわずには生きていけない、動物なんだな、と思う。




 そういう営みを中途半端に綺麗な言葉で飾って誤魔化すのは、偽善と感じるし、気持ち悪い。




 

 まして、わんわんランド、とか、子犬や子猫を触って帰る、ああいうヤツね、あれ、気持ち悪い。



 動物好きには、と、好きなヒトは、言うけど、そして、それは人間本来のやさしさの顕れであるように語るけど。



 女の子を触りまくって、ゲヘゲヘ言うとる、おっさん(@キャバクラ)とおんなじに見えてしまう。






 相手には命も、心もある。ただ、共通言語がないからわからないだけで。


 それが人間であろうと、なかろうと。




 

 うーん。



 生理的嫌悪も多く混ざってるから、これも文章にしにくいなあ。



 どないしょ。


 ま、ええか。


 


 そろそろ、おしっこ漏れそうなんで、トイレいかなきゃ。




 じゃあね。