便所と電球と、そしてあたし

 便所の電球が切れた。



 のは、確か一月だった、よーな気がする。



 これでは漫画が読めないわー。



 電球買わなきゃー。



 と、毎日便所を使用する度に思うのに、帰ってきたら、いつも



 あー、また買うのを忘れたなー。


 と思って、ほんで寝る。



 そして、一ヶ月余りを経て、確か三月末に買うたんであるが、



 えーと。



 なんかね、


 ぎりぎりまで

 便所に行かない。


 と、とにかく、用を足しますね。



 わー、すっきり!


 あ、玄関の靴箱に新品の電球が置きっぱだー!


 まーええか。次のとき、うん、次のとき。



 と、寝る。




 そうこうしているうちに、美奈さん、て、誰?皆さん、四月も終わろうとしているような気がするんですが、気のせいだろうか。





 と、このように忘れっぽい。


 つうか、どんだけ広い家に住んどんねん、オマエ、というか、玄関からトイレ、トイレからこの部屋、って、各何キロも離れているわけがなく、単に、動きたくないだけですね。


 愛車の走行距離は月平均2000km余りですが、あたしの万歩計は、一日15000歩以下になることはない。もう家では動きたない。動きたくないあまり、風呂すら三日に一度だったりする。いや、二日に一度くらいにしたいが、湯ぅを溜めてるうちに眠ってしまうのこと。エネルギーの無駄遣いだあ。背中、かゆい。



 実は昨日、久しぶりに日高義樹のワシントン・リポートを見て、やっぱ日高サンはすごいなあ、ということを書こうかな、と胸に、帰宅したのでしたが、



 便所入ったら、電球に心奪われて忘れてしまっておりますた。



 ああ、これでボケたらどないなるんやろか。




 で、なんの話だっけ、


 うんうん、日高さんである。



 経済とか政治とか、実はほぼ興味がないのですけど、


 このヒトのインタビューは面白い。


 質問のタイミングも内容も絶妙やしね。


 相手も、他のインタビューでは結構適当にあしらってたりするのに(しかもあしらわれているのに気がついてないインタビュアー、かなしい)、日高さんの時にはきちんと答えてるし、うっかりのせられて本音を漏らしても、「ちきしょう、ひっかけられた」とか、恨みっぽいところはない。



 この番組を見て思うのは、やっぱり日本の今の英語教育って、下らないなあ、てことだろうか。


 日高氏の発音はべたべたのカタカナ英語に近い。発音だけ聞いてると、少年ナイフも真っ青な感じ?


 ネィティブな発音をマスターしよう、て良く言われるけど、彼のカタカナ英語をゲストがバカにしている気配なんてない。





 それは、質問内容の的確さなどから、日本国内外の状況を全て把握していることがはっきりわかるからだろう。


 言語は語るべき内容がなければ、何の足しにもならない。



 よく帰国子女やら、語学留学経験者が「語学を生かして」就職に臨もうとして失敗してるんやけど、それはそうだろ。


 英語にも敬語的表現は当然ながらあるのに、それを知らないヒト、多すぎ。それはテレビドラマなんかも英語で観るとわかるけど、主人公も友達との会話と、取引先との会話(服装や座り方もだけど)、全然違うやんか。



 要するに英語も日本語も高校生以下のレベルのままの子が多い。とてもじゃないけど、社会人としてはどうにもならない。


 どっちの言葉も一応わかるけど、どっちも中途半端で、その言葉を使う背景も更に中途半端。



 流暢な英語にあこがれてもいいけど、日高式の発音にもメリットはあって、「自分は英語が母国語ではない」と示すことができるので、相手にゆっくり分かりやすく話すことを要求できるし、もし自分に不適切な表現があっても「言い間違えた」と言い訳できるんだけど、それをしないのもそもそもまずい。


 語りたい、事、ある?


 まずはそれ。それが必要。





 あたしに必要なのは



 便所の明かり。




 さっきけつまずいたしな。



 なんか、それでまた脳からこぼした気がするけど、




 思い出せません。