えっと
さっき、なんとなく自分のだらだら書きが引用されているのを発見してびっくりした。
ので、びっくりした、ちゅう事を日記に書いておこう。よし、書いた。
「役に立つこと」って、一体何を基準にしてなのか、と考えると、基準の置きかた次第では「全て役に立たない」とも言える。
最終的には、ヒトを救っているものって、実際には「役に立たない」モノ、かもしれない。
「救っている」と、「癒す」・「慰める」とは、根本的には違う、とか、連想した。
前者は本質的で、後者は表面的ちゅうか、一時凌ぎ。
今、一時凌ぎ的な傾向に傾いてる気がする。「役に立つ」も、そこらへんを基準にしてる気がする。
熱さましや咳止めをやむを得ずのむ。
それで、とりあえず、その場はなんとかなる。
薬が強いと、病気であることは、忘れていられるかもしれない。
でも、病気は治らない。
病気を治してくれるけど、時間がかかったり、生活を変えることを強いられるような治療法や薬は「役に立たない」。
今すぐ動けるようにしてくれる薬こそが「役に立つ」。
そんな風に感じることが、あるある、よくある。
まあ、ときたまユンケルのんだりするから、あまり強く言うちゃ、ぼろがでるけど。
と、寝不足のまま、日付が変わる頃書いて。
そのまま、寝ないで。
あれこれあれこれやって、
そしてまた、あと2時間かそこらで
また、日付が変わるんやね。
色々思うヒトがいる。
色々思う、あたしがいる。
言葉に出す、そのままは、本当は、そのままの心でないこともある。
でも、そのまま、そのまま。
そのまま、の流れで言えば、
一応は、おおよその流れから、全く外れる、という気持ちはない。
見なければ、そこにある事実がないことになる、とは思わない。
それでも、そこにひっかかっていると、もう自分は進めない、と思うとき、もう見ないでおこう、と思うときはある。
職業に貴賎はない、という。
だが、あたしは、少し違う。
全ての職業は「貴」とも「賎」ともなりうる。
と、思う。
そして、本当は。
いずれも「職業」として存在していても、いなくても、
地球という星は回転を続けるのだ。
正論は常に正論とは言いきれない。
いずれも、立体であり、さまざまな角度、死角を伴う。
「親切を受けたら、感謝すべき」
これは、一般には正論であるかもしれない。
受けた側が言うなら、正論として、受け入れられる。
しかし、親切をなしたつもりのニンゲンが言えば、
それは、傲慢な押し付けに過ぎなくなる。
自分の立ち位置がわからなくなっているときに、正論を吐こうとするのは無駄であるのかもしれない。
と、なんだか真面目な感じで書き足して見てるけど、
余りに寝ていないと、なんだか、ふわふわする。
ていうか、車のキーを抜いた瞬間から、限界がきとるようなのだ。
ドアから降りたとき、アスファルトが柔らかかったよ。
もう少し寝ないでいたら、空中を浮いて、教祖になれるのかもしれない。
て、感じなので、
ええ加減寝んと。
というか、寝る。
ねるねるねるね、というお菓子があったなあ。
とか、言うとる場合か?
どうして、こんなに計画性がないかね、あたしは。
マネージメント能力なし。