二本松テントウムシ
と、いちおータイトルだけつけてみた。
おうち帰って生きとったら、なんか書く。
ぐったりしてたら書かないで寝る。
予想とは違う意味でぐったりしてるけど、生きている。
久々にモスバーガーで食べた。
匠シリーズを食べたけど、まずくはなかったけど、やっぱり普通のモスバーガーが一番うまい気ぃがする。
ナイフフォークが添えられているのも、なんだか滑稽なかんじ。
普通のなら、2、3個食えたかと思うと。
ていうか、帰りにコンビニでおにぎり食べちゃったよ。食い足りなくて。
なんか店内も気持ち悪いなあ、ノリが。
お店の前や中の黒板におしゃべりが書きこまれているのとかも、ちょと馴れ馴れしいていうか、こういうおしゃべりって、何度か通ううちに顔なじみになって少しずつ自分のお気に入りの店になっていく過程で生じるものであるような気がする。
店員さんが仏頂面だったり、貼り付いたような笑顔なので、余計空虚、いやはっきりいうとなんだか新興宗教ぽいなあ。
とか書くと怒るヒトもいるんだろうなあ。
まあ、初めて入った支店だからなあ。
お気に入りのところは駐車場がアレなので、最近滅多に行かなくなったけど、食べたくなったら、頑張ってそっちへ行こうとおもた。
きもい、と思う状況はあちこちにあって、言い出すときりがないのんですが、
「地球を守ろう」
とか
「もったいない」
とか
「健康法」
とか。
とか、とか、とか、とか、とか。
人口が爆発的に増えて、一人あたりの消費量が大きいから、洗剤をせっけんに変えたところで、大して変わらないと思う。
洗剤を使わずに洗髪を2日に一度にしてる環境保護家がどれだけいるのかな。
電力の節約といいつつ、あれだけのネオンを糾弾しないのはなぜ。
もったいない、というなら、毎年服を流行りに合わせて買い替えるなんていう無駄をなぜ認めているのか。リサイクルに出したって、売れないものは捨てられるんだし。
結局経済や政治に利用されてるだけで、将来のことを考えてるわけじゃなさそうな気ぃする。
地球は、というか地球単位で考えれば、この何億年という時間の中で何百種類もの生物が興亡を繰り返してきたわけで、人類もそのヒトツに過ぎないわけだし。地球にとっては人類が滅亡しようがかまわないんとちゃうかと。勝手にラブコールされても迷惑なんとちゃうかと。
「可愛い」「愛すべき」動物も、邪魔になればその肉を町おこしに使ってしまうくせに「地球への愛」を標榜してるのは、おかしいんとちゃうか。ていうかおかしいって、絶対。
今、ニンゲンにとって不都合な環境になっているのは、他でもないニンゲン全員のせいであって、今更「環境保護運動」を推進しているからといって、そのヒトが他のヒトより崇高である、と思うのは勘違いである。慌てて尻拭いに走っているだけやんか、とも思う。感情や情熱でどうにかできる段階はとっくに過ぎてるんやし、そういうイメージに頼っても限界ありすぎなんちゃうん。
「××を摂取すると、血中の○○が増加し、健康に良いことがわかった」
と、紹介されると闇雲に試す人々。
しかも、なんべん繰り返しても、そのしばらくあとに
「摂取しすぎはよくないとわかった」
と大抵報道があるのに、気が付かない。
しかも、発表する学者も学者で、検証もそこそこにゴーサイン出しすぎやねんて。
今、本当に科学者と言えるニンゲンが少ないと思う。
学生の頃、ある甘味料が新発売されて、恩師が
「こういうものは世代を重ねて、初めてわかる副作用というものがあるから、使用するのは控えたほうが良い」
と、授業中に話していたことが心に残っている。
素人が漢方薬や健康食品を他人に勧めるのは非常識だとも、あたしは思っとるよ。
本人は「善意」のつもりなんだろう。だから、むげに扱いにくい。しかし、検証もなにもない善意は自覚のない悪意であるとも言える。
そこらへんが気持ち悪くなるん。
手作りも、パッチワークなんか、手元にある布を再利用する、という観点で言うと、新しい布を使うのも本末転倒やなあ。
ファスナーとかボタンとか、着なくなった服からとったらええやん。なぜ捨てる。
貴族趣味。貴族や華族制度って、構造にも矛盾や限界があるからこそ廃れたものであり、だからこそ今平等に権利を割り振られている人間の方が多いはずなのに、なんで「セレブ」になりたいねん。ようわからん。
自分の労力は1円でも高く売りつけたいくせに、他人の労力(の結果である製品)は1円でも安く買い叩きたいのは、へん。
と、硬派に攻めてみた。
ビールがほどよく冷えたので、今日はここまで。
押忍。