ぱぱのひ

 あたしさー、そおいえば一週間間違えてて、先週プレゼントあげたわ、あかんねー。




 世間のカレンダーとズレズレでござります。



 道理で「?」て顔されたんだわ。



 で、



 「パパ」



 といえば、


 「バカボンのパパ



 ですね。



 いつやったか忘れたけど、FMで今年(てことだけは記憶してる)、奥田民夫氏が誕生日で「バカボンのパパと同い年になれて嬉しい」てなコメントをしてたらしい(ちょうてきとう)。



 そんで、あー、じゃ、もうちょっとの間、あたしもバカボンのパパと同い年なんやなー。


 と、思った。



 そして、しばらく経ったら、あたしはパパより年上になるお、と思た。



 現実に父親だったりするツレたちは結構大変な模様。


 平日は残業で(しかし手当てはない、らしい。出世て微妙やね)午前様。


 日曜祭日は、朝早く起きて、ドライブだのなんだの。


 アンタ、一体いつゆっくりするねん。


 と、思うが、それも彼等自身が選んだ道やし、案外愚痴としては言ってこないので、あたしが心配する筋合いでもあるまいが。



 と、思う一方で、コドモも大変やね、と生徒を見てて気の毒だったりする。



 うちの親も大変やったけどね。


 歳をとっても、本当に「オトナ」といえるヒトは少ない。



 あたし自身がどうかというと、全然青いな、と思うけど。


 「オトナなんだから」というセリフを吐くのだから、オトナなのかなあ、と思うと、結構支離滅裂やったりするヒトに多く出会って、そのたびに混乱した。



 お手本にすべきヒトって存在しないことに絶望してみたり。



 だけど、



 そもそも存在しないのだ、と思った。



 あたし、という性格と肉体を持った人間は他には存在しないわけだし。

 あたし、というニンゲンの関わる人々と全く同じ人間関係を同時期に持った人間も存在せえへん。



 では、あたし、ちうニンゲンを生きていくに当たって、あたしはあたしの生き方を自分で作っていくしかない。


 そんで、あたし自身の生き方は、別に他の誰のお手本にもなり得ない。



 父親も母親も、その他肉親の皆さんも、他人の皆さんもご同様。



 それでも、皆、お手本を探す。


 だから、宗教も、


 哲学書も、


 文学も、


 延々と、脈々と、累々と、ある。



 そして、


 それでもなかなか


 お手本がみつからなくて、


 右往左往する。



 右往左往して。


 しないほうが、きっとおかしい。




 今も、あたしはまだ、どうすべきかは定まりきらないけど。








 特に父親に感謝はしていない。



 悩むべき生を与えやがって、とも思ったこともあるね。



 あたし的には、是とは思わんけど、彼は彼的に必死で余裕がなかったなりに、突っ走っていたのだと思うし、それなりに誠意を尽くした方面もあるのも知っている。


 それは彼にとってのあたし観もそうらしく、


 随分色々あった後に、適度な距離を持って眺められる時期を迎えられるようになったのだろうか。やっと。



 そうしたら、まあ、それまでも型通りのことはしてきたけれども、


 菓子折のヒトツくらいみつくろってやってもええやん?


 と、普通に思えるようになった。







 そして、菓子折の大部分は、母の脂肪に吸収合併された模様。



 全く。アンタにも、同じ様な感想を持ってるけど。アンタにも母の日に色々あげたやんか。何バリバリ食ってるかなあ。



 でも。



 これで、



 いいのだ。