うふふ
えへへ。
ちょっとよい出来事、ちうか、良い兆候があったので、機嫌が良い。
やっと、流れをこっち側にもっていけた、ていうかね。
どない言うたらしっくり来るやろ?
ま、ええか。
だからといって、気が抜けるわけとちゃうねんけどね。
近頃の若者は恐い、っていうけど、
そうかなあ、と思う。
近頃の若者の親の世代って結構素ぅで恐いと感じるねんけどね。そんな親の元で育って疑問を感じてない「普通の子」の方が恐いわ、あたし。
ある女の子が泣いて連絡をとってきた。母親はあたしと同世代なん。
ちょっと体を壊して退職して、気を取り直してまた就職活動をはじめたら、けっこう綺麗なので見初められて縁談が来た。資産もある、言うたら「玉の輿」というやつ。
「でも、生理的に受けつけないからイヤ。もう少し一人でいたい」と、彼女が断ると、
「何を言うの、あなた。一生働かなくて良いのよ。他所に聞かれても自慢できるし。夜のことだったら、電気消して、目をつむったら、男なんて、誰でも同じでしょ」と母親にキレられた、という。おまえはやり手婆か。
あくまで一部だと思いたいけど、バブル期あたりでは、釣書の収入と学歴、資産だけみて結婚を決める女子もあたしの周りには結構いた。顔も「こんなんで妥協したのか」と、周りに思われたくない、という理由で、ある程度は重要視されていたようだ。
そういう母親にとっては、結婚とは、自分の欲望を保証してくれるものであり、子供も自分の欲望を満たしてくれる道具なんやろか。「××大学くらい入ってくれないと、肩身が狭い思いをするのは私なんだから」っていうキレ方する母親も多いし。
あたしは、親のお金もある程度の年齢を過ぎたらアテにする筋合いじゃないと思ってるし、自分以外のヒトが稼いだお金は、自分以外のヒトのものとしか思えない。ので、根っこから、相手の言ってることがわかりません。
そういう環境でそういう論理を疑問視せずに受け入れることができるなら、それはそれで幸せやろから、その場合はあたしが口出すこともないので、気に入りはせんけど勝手にしとけばいいかなあ。
だけども、それを受け入れられない場合は、その環境から離れるしかない。
それは痛みを伴わずには済まないけど、結果が悲劇となるかどうかは、巡り合わせ次第のような気がする。
それはもう、ほんのヒトツのボタンの掛け違えのような、些細なきっかけだったりするわけだけど、うまくボタンが掛かっていくとええな、と思う。
それには、まず、そこにボタンがあることにも気がつかないと。
ボタンのはずし方、はめ方も覚えないとなあ。
ねえ。