おーりゅにぃでぃず
あいってなんだ。
手の甲がちょっぴり日焼けしている。
顔もすこうし色が濃くなってる気がする。
毎年勧めに従って日焼け止めを買うんやけど、去年のも一昨年のも封を開けないままだ。
いっつも忘れるんやね。
ほんで、腐ってそうで恐くて使えない。
でも未開封のんは罪悪感があって捨てられへんのね。
直射日光を浴びるとなんだか魂を抜かれる気がします。
写真も以下同文です。
ていうか、自分の顔なんか飽きたので、あたしの写真を撮ってくれるなら、ほしのあきの写真集ください。アデランスのCM写真かわいいね。
このヒトは、クールなヤツだと思います。
自分の感情や気分で、被写体である自分を損なうことはしてないような気がする。
「自分のこと、魅力がある」とわかっているのは自惚れとはちゃう。
「あたしなんかかわいくない」と思うなら、グラドルでお金をもらおうなんて、すっげー厚かましいやんな。
あとは自分の魅力的なところを、どう効果的に見せていくか、効果的に見せてくれるスタッフとどう盛り上げていくか、継続には脳みそが必要なんだと思う。
あるところで、昔の同級生を見かけた。
声をかけそびれた。
当時の彼の夢はプロのマンガ家だった。
同人誌ではそこそこの評価を受けていて、作品をよく見せてもらっていた。
しかし商業誌では受け入れてもらえなかった。
そのときはうまく説明できひんかったけど、今はわりかしハッキリ見解を述べることはできるような気がする。ので書く。
今まで、物書きとか役者の卵だったヒトを見てきたけど、ほとんどが本人が目指す「プロ」となる前にフェイドアウトしてたなあ。
同人というのは、志や志向・嗜好、価値観などにおいて「言葉で表現しなくても分かり合える」ナニカを共有している。そして、多分、そのナニカを一般のヒトに言葉なり表現で理解させる技術なり情熱なりを持っていないと、職業として成立させるのはかなりキツイ、ということだ。
しかし、そのナニカが、なんなのか、ちうか、存在自体に気がつかないことには、乗り越えること自体思いつきもしない。
例えば地方出身者が、自分の使っている言葉が標準語であると、信じて疑わなかったり、標準語とのアクセントやイントネーション、ニュアンスの違いに気がついてなければ、言葉を発音する職業につくのは非常に難しい。その地方にとどまっていれば、なおさら気がつかないが、違う地方に移ってからも言葉の違いに気がついていないヒトは多く、残酷かもしれへんけど、最初から適性のない職業を目指していたのだ、と感じることも多いねん。気づいてないから、自分の方言を逆手にとってウリにすることもできひんし。
これが書き(描き)モノとなると、もっと判別は難しいけど、一般のヒトが「ひく」ところをどうデフォルメするか、または婉曲な表現にするか、で作品の中心となるものを際立たせていこうとすると思うねんけど、中途半端にひねって、なんだか気持ち悪いことになってる。非常に若くて、なんも周りが見えません!て、バ−ッと裸になっちゃうと、つい勢いにつられて目を向けてしまうこともあるけど、それってなんの言い訳よ?みたいな理由をいっぱいつけられた挙句脱がれたって、みたくないねん。目のやり場に困るねん。
てここまで書いてたら眠っちゃったので、続きはまた明日。