泣いてばかりいる子猫ちゃん
アラを煮たあとの煮凝りを飯にぶっかけて食うと上手い。
ある作家(坂東さんていうらしい)の書いた猫関係でガタガタあるみたいですね。子ねこ殺し自体への言いたいことはどるさんがきっぱり言うてはる(http://d.hatena.ne.jp/doller/20060823/1156325269)し、それ以上良い表現も思いつかないのでそちらを見てくんろ。
年齢が進むと自分への言い訳が多くなるような気ぃがする。
自分で自分を誤魔化していくことが上手になる。周りからみたらバカみたいな言い訳なんやけどね。
歳を重ねて、動く範囲が広がると、勿論見たくないものも増えてくる。
見ないフリしたり、その場を丸く収めたりすることも、人間一人が処理できる事柄は限られているから、それも生きていく上では必要なスキルではあるけれど、それで、目の前にある事柄がなくなったり根本的に解決されるわけでもない。
自分への風当たりが強くなることを恐れるなら黙っていれば良いし、黙っていられないならそれ相応の風が吹いてくることもわかっているんやから、言い訳したってしょうがない。
非難をうけることも承知なら、中途半端に世間の空気なんて読まないほうがいい。
そして人生を振り返って、今までの自分がどうだったかとか、そんな言い訳もする必要もない。
そこでうまくいかなかったことは、社会のせいであったり運命の巡り合わせであったりはするだろうし、同情すべき点もあるかもしれない。
しかし、その主張を振り向けられる多くのヒトビトの大半はそれに関与していない。
あたしもそんなときがあるけれど、自分の中の鬱屈した思いは社会のアレコレと隣接してはいるが、その事柄のみをとってみれば社会に問題提起するより先に自分の中で処理すべき問題である、という認識が欠けがちである。どこの部分が万人にとっての問題で、どこの部分が個人的な問題であるのか分けられないのだ。
特に作家であると、個人的な事柄を膨らませて作品にすることも多いから余計に区別がつきづらいのかもしれないが、だったら余計にもっとうまく書けなかったかなあ。まあ、多分実際にこのヒトの心を占めている鬱屈は子猫以外のことなんだろう。だから歯切れが悪い。なんか余所見しながら文を書いている感じだ。
と、思うのは、今あたしが書こうとしてでも言い訳臭くなるから、と他の事を書こうとすると、迷走しがちになるからかもしれん。
つうか、今日も迷走しとるけどね。