ohひさしぶううう

りいねえええ。



 というわけで、丸一日休み!だったのでお墓参りしてきてん。



 ツレと待ち合わせてたんだけども、ワンアクションごとにメガネをどっかではずして、どこに置いたかわからんくなって探す。とゆー大変不効率な動作を3回以上繰り返す状況で、時間に一時間以上遅れた。

 
 …、という理由で遅れたよ!


 と、正直に申告したところ、跳びゲリ食らいました。



 


 コイツと同じ墓に入りたくない、というセリフをあちこちで聞くねんけど。



 宗教心がないせいか、あたしにはピンとこない。


 死んでしまった自分には執着の持ちようもないしなあ。自分の死体にも興味がないので、とりあえず腐臭を放ったりしてヨソに迷惑をかけないのなら、生ゴミの日に一緒に捨ててくれても構わないくらいやねんけど、逆に自分が他のニンゲンの遺体に対してそうできるかってえと、心が痛むので、残ったヒトが心痛まない程度に適当にやってくれたら何でも構わん。

 数年前、「鳥葬」てコワイなあ、て思ったけど、今はそれもナイスアイデアかなと思う。


 崖の下に落として、死体を鳥の餌にしてしまう。死体から衣服を剥ぎ取って盗んでも、遺体を切り刻むのもOK、むしろこの世からさっさと断ち切ってあの世に向かう手助けということで歓迎される行為らしい。


 生き返るわけではないので、それもアリかと。



 逆に抵抗を感じるのは、インドのほうでマザーテレサの機関が行っているというヤツ。


 あそこは路上で生まれ路上で死んでいくヒトが多いらしいけど、その中で死に瀕しているヒトを「せめて最期だけでも」と、世話して死なせてあげる、というのん。



 確かに、あたしもその場にいたらしてしまいそうではあるんだけども、これは「余計なお世話」なんじゃないのかなあ。



 そこそこブンメイ的な生活の中で育って「自分にとって幸せって?」とか考えるヒマもあるニンゲンが路上で死に行くのは、自分でも辛いことなんやろけど、そうでない場合、もう後は死ぬだけというときに「こんな風に扱ってもらえる可能性も、この世の中にはあったんだ。自分にはなかったけど」ということを今更思い知らされながら死んでいくってどうよ?意識があれば、余計に残酷な行為じゃないのん?あたしがもし、路上で生まれて死んでいくならば、そのまま捨て置いて欲しい気がする。


 とか言うたところで、自分がその残酷な「慈悲」に関わることはないし、どちらの立場に立つことも実際にはないから、わからんもんはわからんし、非難する筋合いとちゃうんやろけどね。







 など、墓石の前で考えたりしてたけど、ツレには言わなかった。




 ツレはツレで、他の事を考えてたみたい。





 というか、全然違うことを考えていた。





 墓の中のツレは、困ったもんだ、と思ってるやろか。