さんぽみち

 あれ?



 あのでっかい頭は。




 でっかい頭も、ゆらゆら、こっちを見てる。





 ××先生?





 「ああ!あとうさん!」



 やっぱり。



 「いやー。なんか見たことのあるお顔やト、思うておったんですが、いやしかし、自分に、こんなギャル臭い、いや、失礼、失礼!…ギャル臭い知り合いがおったかしら、いやいや失礼!と思案して居ったのです」



 ギャル臭いて。


 まあ、それにしても、お元気でいらっしゃいましたか、●●のご研究は続けておられますか?



 
 「いえいえ、退官してからはこっちね、設備もないですし、家族にはいやがられますんで、きっぱりと」



 きっぱりと?


 「とはいうてもですね、アレですね、やり残した研究への未練というかですね、今更自分はもう引退した身、未練をね、断ちきらねば、と思うてもね、●●を見ると、ついとね、それを●●を見ても、アレコレ考えなくなるまでにね、5年かかりましたワ」



 本当に断ち切らはったのかなあ…?



 「いやはや!あとうさん、ご明察!学会誌や資料はやはり捨てられませんね、つい、読んでしまいますし、『お父さん、いいかげんに捨てて』と言われる毎日であります」



 シラバスの他の先生の研究室紹介のページには事細かに研究内容や理想理念がぎっしり何百字単位で書いてあったが、この先生のとこだけ、


 研究内容:●●について


 研究目的:●●についてよく知る


 学生への希望:●●をよく調べてください



 だけだった。


 先生は●●をどうしてご研究なさろうと思われたのですか?と聞いたことがある。



 「私が入った研究室の専門がたまたま●●だっただけです」



 に、してはハマってはったね。たまたまが大当たりやってんね。
 



 片岡千恵蔵多羅尾伴内をごっつ地味にした感じで。



 4頭身くらいかしら?とにかく頭が重そう。


 でも作業しているとスーツが汚れるからか、フリル付きのエプロン(しかも花柄とかピンクとか。奥さんのお古らしい。なんで白衣やないねん)をいっつもつけてたな。


 で、ときどき、窓の外からガラスにべったり顔を付けて、他の先生の講義を覗いては、うんうん、と頷いてたため、学生から不気味がられてもいた。

 
 自分にとっては貴重と感じる研究であっても、他人から見たらどうでもいいことだろうという自覚があって、だから、他人に自分への敬意を求めるところもなく。出世とか知名度なんかへの色気は全くないみたいで、それもあたしにはちょっと珍しいと感じられた。


 なんとなく滑稽なんやけど、愛すべき滑稽さというかやね。



 


 捨てることも整頓することもままならない大量の書籍をどうすることもできひん、らしい。動かしたら、壁・柱ごと崩れそうなんですて。



 あー、でもうちの親父もそうですよ。退官したとき、天井まで届く学会誌を整頓してたら、間から30年以上昔の頂きもののえびセンの箱が未開封のまま出てきたりしたもん。茶封筒のまま何十冊も変色してるから、捨てようとしたら、目をウルウル首をプルプル。



 「ああ、それ、よく!よっくわかります!私だけではない!と、勇気が出るお話です!」



 いや、勇気は出さなくてもいい。







 で、今はどうしてらっしゃるんですか?




 「山登りしたいと言えば、危ないというし、写真を撮りたいというと、へたくそのくせにと言われて、それじゃあどうして欲しいんだ、と聞きましたらですね、『元気でおって』と言うんですわ。そんなん、どうやったら元気でおれるか、わかりませんでしょう。まあ、それでですね、とりあえず、毎日しんどくなるまで散歩をしておるのです」




 と、スーツに運動靴、アジアン系ナップザックでひたすら歩く歩くの図。




 気が付いたら日がとっぷり暮れて、随分時間が経ってた。




 それでは、また!




 別に聞かれてないけど。



 どないしてほしいねん?



 と、問われたら、



 あたしも



 元気でいてください。





 としか。




 先生は、張子のトラみたいに重そうな頭と手を振り振り、あっちの信号の向こうに渡っていった。