てをたたこ

 






 その子に、自分の話をした。





 むかしむかし。








 家庭でも、学校でも暴力を受けたことはある。



 親父が大きなツボを投げつけてきて、こめかみのすぐ傍の壁にぶつかって破片で怪我をしたり。テレビを投げつけてきて壊したこともあった。


 あんた、もう少しで子殺しになっててんで。犯罪者やってんで。


 と、後に言ったら、


 「だって、君はちゃんとよけたやないか」




 独立戸籍を持とうとしたこともある。




 介護に疲れて、親の死を望んだこともある。




 死を望む罪悪感を打ち消そうと、過去のことを一度に持ち出したこともある。




 記憶や、能力の一部を失ったために、不安になると、あたしが眠っていようと、トイレに入っていようと、泣きながら訴えてきて話を遮ろうとすれば血圧上昇を引き起こして意識を失う。何度も何度も救急車を呼んで、何度も何度も覚悟した。死んでくれれば、もうこんな覚悟をしなくて済むのに、と思う自分。耳鳴りがし始めて、ある日耳が聞こえなくなった。


 でも、あたしに親は殺せない。


 自分が死ねば、もう今のこの思いからは解放される。



 


 もう絶縁だ。



 自分は病気の親を見捨てたのだ。







 あたしには何の力もない。




 自分を頼ってくれていた生徒も助けることが出来ずに、死なせてしまった。


 そして肉親をも見捨てて。




 
 そうして自暴自棄になって。



 先に逝った、あの子や、アイツや、あの人が呼んでる気がして。




 それでも、もう一歩が。




 だから、今ここにいる。




 そして、今、親父、おかん、と普通に話し、笑う。アホや、と言える。











 あの人達が、客観的にはともかく、子供達に対してしたことは、愛情がないからではない。人間だから甘えもある。自分の中に抱え込みきれないモノを一度に抱え込まざるを得なくなったときに、どうしても歪んだ形になって外へあふれ出てしまうことがある。


 親父が荒れていた頃、ヤツは学閥争いに巻き込まれていて、毎週のように靴を隠されたり、実験器具を壊される、という低レベルなイジメを受けていた。


 おかんは親父を守ることと仕事をこなすことに精一杯で、子供にまで手が回らなかった。

 
 おかんは別に倒れたくて倒れたわけではない。




 人は窮すると、見る方向が限られてしまう。悪い情報から逃れようとして、目や耳をふさいで、そこにまだまだたくさんある良い可能性をも見えなくしてしまう。





 その渦中に巻き込まれたとき、確かに、そのときは苦しい。



 明日なんてない、と思う。





 だけど、それは一つの機会なんやと思う。




 正しかったかどうか、はわからへん。




 でも、それだから、今アンタと話をしている。


 そやなかったら、世の中にお互いがいることも知らないままやったやろ。




 そこでの連鎖を良くない、と思うなら、それを断つために、どうしたらいいのか、少なくともこれはマズイ、という例を身をもって知る機会が与えられたのだと。



 自分をカワイソウにしてはいけないし、カワイソウではない。



 自分だけの力ではなくて、色々な巡り合わせの中で一つ一つ、乗り越えていける。




 だけど、同じ傷を受けても、体質によってはケロイドになってしまうことがあるし、抵抗力が弱っているときには重態に陥るときもある。慌てて傷を触り過ぎて出血を増やしてしまうこともある。



 だから、これから出会う人に同じ傷を負わせないために、自分が今この事に出会ったんや、と思えたら、思ってみよう。




 そういうことがあってあたしはラッキーやったのやな。




 それを知るまでに、随分時間はかかったけど。




 












 小さい頃、ある先生が赴任してきた初日に


 「あとうって誰?」


 その人は、ちょっとうちの親のことで誤解をしていて、



 「よく恥かしげも無く学校に来れるね」



 それが初めてのあいさつ。



 休みがちで、久しぶりに登校した。たまたま母親が髪の毛を結ってくれたのを


 「学校休んでたくせに、髪の毛をいじるヒマはあるのか」と、その先生はおさげをハサミで切り落とした。


 バケツで冬に水をかけられたこともあるし、アイロンを投げつけられたこともある。




 その人には教師の資格はない、と人は言うだろう。



 その人自身も多分わかっていたと思う。





 色々な事がその人の身の回りに起きていたことも、後になって知った。


 あの人は、それを受けとめきれなかったのだ、と、思う。



 突然あたしにだけ、自分のお気に入りの画集をこっそり見せてくれたりしたのも、その人だ。色々、心の中で揺れ動いていたのだと思う。


 卒業式の時、隣のクラスの担任が


 「あとうさん、よく耐えたわねぇ。先生、かわいそうでかわいそうで、見ていられなかったわ」と、泣いてみせた。



 隣で声がしても、ガラスが割れる音がしても、一切駆けつけてくることはなかった、この人のほうが、あたしには恐ろしいと感じられたし、人間不信を植え付けられたように思う。


 それに、かわいそうなのは、あたしではなく、あの先生だ。



 今と違って、教師が訴えられたりクビになることはまずなかったとは言え、あれだけのことをすれば、どんどん自分自身を追い詰めるだけなことは、あの人自身がわかっていたはずだ。鎖を解こう解こうとして、無闇に暴れて、鎖を振り回して、自分も周りも傷つけてしまってただけや。



 あの人は、今どうしているだろう。




 今は元気に、幸せになってるやろか。



 あのときの苦しい状態や、辛い連鎖を断ち切れてたらええな、と思う。


 あたしも、こうやって元気です、大丈夫だよ、と、言ってあげたい。










 

 
 ああ、何を言うてんのかわからんくなったけど。





 それが良いことでも悪いことでも、それは本当はチャンスなんやで。



 最悪や、としか思えないことでも。





 あたしに出会えて、嬉しい、と、アンタが思ったなら、



 アンタに出会えて嬉しい、と思ってくれる人に出会って、役に立てるときが必ず来る。



 そのために、今チャンスをもらってる。



 だから。