こんなんきらい
と、いうよりも。うーん。なにかなあ。
忙しいときに限って、こまこましたくなるのん。タマの休みはダラダラして結局あんまし何もできひんのにね。
そんでもって、多分すごく忙しくなるので、今のうちに毒を吐いておこう。
吐かれた人ごめん(とか言って反省しないヤツって始末が悪いよなあ)。
医学部に行きたい人や別に行きたくない人で、どくたーコトー好きな人多いよね。あんまり勧められて、貸してくれた人がいるねんけど、あたし、あのマンガ嫌いや。なんだか上っ面の感動を安易に繰り返している感じで、極端に言うとN'sあおい(こっちは好き)に出てくる奈良橋さんみたいな感覚を感じるの。本人は意識してへんやろけど。「ここでこのキャラが難病になったり死んだら盛りあがるな。読者を泣かせることが出来るな」という計算が見えるというか。社会的地位や名誉を気にしてない主人公に、「実は名医」とかそういうんをかぶせたがるのも。安っぽいヒューマニズムを感じるので、自分からはもう読まないので、周りの人に勧められたくない。ちゅうか、勧めてくる人のセリフが、そういうあたしの印象をますます強めてしまうしな。
「どうせ世間は助けてくれないんだから」とか「世の中にはもっと不幸な人がいるんだから」という言葉も嫌いやね。
その言葉の背後に「でも中には自分よりもずっと、過剰な恩恵を被ってる人がいる」という気分をどうにか抑えている感じ。
外側の自分以外のナニカを全員が期待したら、そのナニカがあったとしても、パンクしてまうがな。
なんだか幸福も不幸も自分の努力よりも外側からやってくるのが基本だと思ってるのかなあ。
まだ早いけど、来月クリスマスですね。
あたしはサンタクロースを初めから信じてなかった。幼稚園に上がる前に一通りの文字は読めるようになってたので、「何歳までサンタを信じてたか」という記事も読んでたし。
だから、同じ組の子供が「良い子にしてたら、サンタさんがプレゼントをくれる」というのを、くれなかったら良い子にしないのかよ。と、結構生温かい目で見ていた(イヤな子供やな)。
ていうか、自分が欲しいものを必ずしもくれるとも限らない見知らぬおっさんを待つ、という感覚が当時からわからんかった。色々な土地にプレゼントを持って回れるサンタ自身の方が面白そうやん、とかも思ってた。
ある程度体面を保つ、という感覚は、自分の中の暴走を抑制する働きがあって良いのかもしれないけど、自分の生き方が良いか悪いかを外側に求めすぎると良くない気がする。
これだけコロコロ変わる世の中で、誰もが不安なんやと思う。親だって、昨日と今日、言ってることが違う。他所の子はこうだった、ああだったと比べる。その背後の条件が違うとかは関係無く。
そんな中で自分への評価を外に求めすぎなんとちゃうかと感じる。
だから、実は知られざる「スゴさ」なんかに憧れたりする。
そのスゴさがない自分をどうにかしたいと焦ったり、自分から見ると焦ってない人は「自分より恵まれているのでは」と思いこんだりする。
そういう実際にはちゃうとあたしは思う「自分にも当然巡って来るべき恩恵が不当に他の人に割り振られているのではないか」という不安は、例えばイジメの一因にもなっているのではないのかとも思う。
自分より努力してないように見える、劣っているように見える人間が、自分と同じ権利を与えられているのも、不当だと思う人は思う。
泰然としてれば、陰で自分の知らない恩恵を受けてるのでは、と疑う。
大変めんどくさいことやなあ。