はぐるま
高額で効率の良いお仕事を次々と断ってしまいました。
金が貯まらないわけです。
そいでも日々の生活には困らんので良しということにする。うん。
月に一度のお楽しみの一つになったナックルズ。
どるさんの連載3回目は「自殺さん」やってん。
どるさんは、こういう表現世界の中ではかなりデリケートな性格のような気ぃしたよ。
ショッキングなことに対して、自分自身を笑い者にしたり、誤解を受ける事は平気であっても、それを他人に対して適用することにためらいがある感じがした。
せやから、今回はちょっと歯切れが悪いかなあ。と思た。
だけど、歯切れが良かったら、どうなんだろ。
「死」をばっさり切れる人間って、いるんやろか。
ありがちだけど、自殺を考えたときはあたしにもある。
現実を受け入れるキャパがなくて、死んだらもう何も見ないで済む、と思ってた。
だけど、そうすると、「あきらめたらあかんよ」というあたしの言葉を信じてくれたヒトには無責任なことだなあ。ていうのが根底から拭いきれなかった。
生き続ける、ということはあたしを嫌うヒトも信じてくれるヒトも、両方増えては消えていく、ということでもある。
そして、あたしとは全く関係ないヒトの営みが、あたしに関わり無く続いていくことも、あたしをほっとさせる。
例えば。
みすちるの唄って、あたしは苦手なんやけどね。
目立たない、仕事ばかりしている、社会の歯車に過ぎない。
そういうニンゲンであることを恐怖している。
そういう強迫観念に囚われているニンゲンが多いんとちゃうか。
誰に認知されなくても、あなたはそこにいて、呼吸をしていることを、誰よりもあなた自身がわかっているはずだ。
存在を認めさせることに腐心して、存在そのものを危うくさせるなんて、本末転倒なんとちゃうか。
誤魔化すことに慣れてしまったら、もうそこからは何も見えて来えへんし。
誰に認められなくても、そこに在る限りは、果たせる役割はある。好むと好まざるに関係なく。それを果たして、歯車となっての自分が在り、他人があるんとちゃうん。
やっぱり歯切れ悪くなってまうなあ。すまん。
あ、そうだ。これ。
どうなんかなあ。
いや、別にええねんけどな。
自分ちにこれがあるってどうよ。
昔、ツレ(医学生)が、大枚はたいてさ、人体模型を買うてたん。アホやから。
人体の神秘展だか不思議展だかって、時々やってるやん。あれで買うてたの。
ちっさめの模型も「マイケル」やら「ジェーン」てもともと名前がついてたんやけど、そいつが買うたんは、等身大の模型だった。ヤツは「太郎」とかそんな感じで新たに名前つけとった。
20万だか30万くらいしてたんとちゃうかったっけ。
一人暮しの部屋に、人体模型の太郎が椅子に座らされていた。
目が醒めるたびに、太郎の剥き出しの顔面神経系などに、心臓が止まる思いだったという。そんなん始めから気ぃついとけ。
一週間ちょっとで太郎は学校に寄付されることに。
思いつきでこんなん引き取ったらあかんよ。太郎、かわいそうに。