じう

 雨、降っとるね。


 タバコ、変えてみた。が、また戻るかもしれへんし、他のになるかもわからん。


 やめる、という選択肢はないなあ。


 と、部屋の中でふかしながら。




 数学を教えていて思うねんけど。


 
 数学って、言語の中で、一番行間がないよな。


 数学が将来の役に立つと言うヒトも多いし、それはある意味本当かもしれないけど、あたしは、別に、と思ってる。


 遊びとしては、面白い。


 しかし、そこそこ受験数学がこなせたヒトが、社会の中心におるのが、今、もしかして弊害の一つかなあ、とか、強引なことも考えている。


 限定された条件の中では、答えは出しやすい。


 だけど、現実は無数の条件が見え隠れしているんやから、答えは出ない。


 出ても、それは沢山ある可能性の一つであるに過ぎひん。



 そこを、敢えて、一つの答えにしておこう、便宜上、ということであるんとちゃうか、というか。



 そこにある、他の可能性を見ないでおるから、突発的にトラブルが起こったかのように、いちいち慌てるんやないの?



 普通の言葉は、辞書にある意味だけじゃないし、その言葉が使われる前後関係や、背後関係で、随分意味合いが変わってくる。


 数学が出来るヒト、というのは、そういう曖昧な背景を無視して、効率良く答えを導き出せる、従って賢い、とヨソから言われて、それなりの評価を手にいれるわけだけれど、効率良く答えがでる方法ばかりにとらわれているというのは近視眼的な結論を出す方向に流れやすいということも含んでいる。



 こういうことになるとは、思わなかった。




 と、そういう系のヒトから話を聞くたび。




 そういう風に振り回されるタイプのヒトは数学をやらない方がいっそええのかもしれない。




 書を棄て、数学を棄て、学歴や肩書きを棄て、街に出よ。



 なんてな。









 とか言うたりしながら、ちょっと日常に疲れたときは、数学を解くのは楽しいんやけどね。