二本松点燈
いみわからん。
「ヘアスプレー」観てきた。
あるヒトが観たいとつぶやいていたのでムリヤリ連れて行った。
そのヒトは、薬剤の副作用で、じっとしていると血流が悪くなり、ダメダメになってまうん。ので、様子がおかしくなったらすぐ外に出て帰ろう、て思ってた。
ヘイキだった。
観てる間、ずっと体のどこかでリズムをとってしまったみたいで、却って血流が良くなったようやね。
とらぼるたくんが女装しての久々のミュージカル出演ていうのにひかれてたんやけど、彼が突出してるというほどではなかった。
いや、彼も良かったんやけど、全員が良かったんよ。
層の厚さを思い知らされるなあ。
ミシェル・ファイファーええなあ。
あの、唇のなんちゅうの?乾いたトコと濡れたトコの境目?を突き出すようにしゃべるやん、あのヒト。悪女似合う。色っぽいなあ。
イライジャ・ケリーええなあ。
もうね、骨の髄からツクリがちゃうね。涙出た。かっこよすぎて。
あ。もちろん主演のニッキー・ブロンスキーもよかった。だきしめたい。
軽く作ってるけど、黒人差別がベースのひとつになってる。
結論から言うと、多分差別というものはなくならない。
おそらく、ニンゲンが「社会」というもんを作ったときから、そのジレンマは始まっており、
きっと、ニンゲンが今の文明を総てかなぐり捨てて、言葉も総て失わない限り、付いて回る。
しつこいけど、この世は矛盾だらけ。
この世で実際「論理的」であるなんて、ムチャやとツネヅネ思うで。
そやからこそ、理屈もくそもない、無神経なおばちゃんたちがはびこるのやろ。
子供がエロの毒牙にかけられるのを警戒するくせに、作家の子供である作品のエロいパロディーは許されるとか、無神経な感じ。
あ、話それた。
鈍感力の優れてるほうが、「有利」であるのだろう。
それなのに、「論理的」思考ができる、技術をさらに発展させることがでける「エリート」を育てようとかしてはりますねん。
でもさー、これって、現代社会における「奴隷」やん?
金という鎖でつながれている。
そして、いつ。
いつ、古タイヤを首に巻かれて殺されるのか、わからない。
イブニングだっけ。まんが。
理解と差別は同じ。
そんなせりふ。
被差別者を理解していると主張しているうちは、きっと、自らも差別する側のステージなんやと、あたしは思うで。
次のステージは、
どこ?
差別を考えることで、ニンゲンはオノレの暴走をなんとかくいとめている気ぃもする。
だから、無駄ではない。
無駄なはずはない。
ちょっとだけ知ってるヒトが、最近弁当生活のようだ。
弁当生活を選択するには、いくつかの理由があるけど、
経済的な理由なら、
弁当のための食材は特別に買うな。
弁当は、料理の中では、少しちゃうジャンルなので、凝り始めると結構はまってまう。危険でしゅ。
そんなんやってたら「経済的」つう理由から本末転倒になってまうがな。
あたしは、そういう時期、サツマイモが身近な素材でした。
サツマイモ、あんまり好きじゃないねんけど。
皮ごとだと、色合いがキープできる。
ビタミンがキープできる。
食物繊維もキープできる。
それから、知人宅のヒイラギの葉っぱも。
食べられないけど。
緑色のインパクトで、しょぼいおかずだけのときでも、なんとなくきちんとして見える。
密閉容器のなかで、葉物のおかずは色が落ちて茶色っぽくなり勝ちやしね。
別に他常緑樹の葉っぱでもええけど、中には毒性のあるものもあるから調べてからね。タンポポの花を添えると「あたしってけなげ」という気分」まんさいです。
濃い味のもんが腐りにくいというのは、事実やけど、世の中好塩菌つうのもおるから、その限りでわない。
それと、肉体労働してるとか暑い季節でもないのに、余り塩分をとると体に良くない。ので、
普通に味を付けて盛り付ける際に醤油を一滴たらす、とか、味噌を添えるとか。梅干を隣に置くとか。
あ、味噌、うちにあるやんね。
味噌によってはみりんを混ぜて。
残った肉とか厚揚げとか漬けて、焼く。アルミホイルに載せてオーブントースターで焼いたらええよ。あ、しいたけもいいかな。
味噌のみを焼いて、野菜やご飯の上に載せてもいい。
山椒の葉っぱを乗せられたら、かなりかっこええかな。
けんとーをいのる。